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♪:同居記録:74

同居記録:74
☆ 2008.9.7.2年半振り?・に紳士野球(シニアクラブ)に参加。そして母との昼食中に。

自宅ではスリッパを履き、職場ではサンダルを履くようにしてからは左足踵の痛みは急激に減りました。踝の下に軟骨みたいなものが飛び出しているのが気にはなりますが、ついに早朝野球に参加しました。
「たかっさん、随分と身体が大きくなりましたね」、と大歓迎してくれる者、「こいつは誰だい」、と迷惑そうな顔をする者、いろんな反応があって当り前だと思いました。15年間もチームをまとめてこられた甲斐と方が高齢を理由に監督を辞任され、新監督の下では随分と会員の顔ぶれが変わったような気もしました。シニアチームってこんな感じの中で新旧の入れ替わり、強化があるのだろうと思います。
私が所属する?チームには40歳以上のシニアチーム、58歳以上の還暦チームがあって、こうしたチームが県の軟式野球連盟に登録されているだけで県内に12チームくらいあるのでしょうか、シニア、還暦グループ別に国体まで出場できるシステムになっている模様です。
凄いキャリアを感じる方、単にお遊びの域を出ない方・・、様々です。礼儀は正しいのですが、力が入ってくると口が悪い方が非常に多い気がします。
兎も角、遠慮気味に挨拶をして大人しくして外野でトス練習の守備についていたら、「お前は我がチームでは遊撃手じゃないか、自分の位置を忘れたのか」、と言ってくれる方があってありがたいものだと思いました。「一応、後任の遊撃手がいるが打撃力の差でアンタだな」、と言われましたが、従来のような参加はできない事は間違いないし、正式な復帰はどうしたものかと思います。「転勤でチームを去っていた奴が再び戻ってくる事もあるし、考え過ぎない方がいいですよ」、と言ってくれる先輩もいたり、今日は数年振りに顔を出せただけでもよかったのかも。そんな訳で今日の6:00からの練習は参加者多く、2チームに分けて紅白戦という形式になりました。私は白チームの遊撃3番を任され、守備機会はなくて4打数1安打という不本意な成績でした。
朝の食事は私の帰りを待って始まり、いつもの朝より遅かったという理由で昼食は午後2:00から、今しがた素麺を3人で食べ終わったばかりです。野球の帰りに私が買って帰ったいなり寿司を出したのですが、気付けば母はいなり寿司を素麺つゆにつけて食べているんです。
トイレではお尻を拭き忘れ、手を洗わない・・、ここの処の母は多くの感覚を忘れ始めています。

☆2008.9.8。痛い、左右の太股がパンパン。踵の痛みは軽減。創作活動。

踵の骨は順調に回復。20代の頃には膝の皿を割られてレントゲン撮って帰ってそのまま放置しているうちに治っていますから今回も勝手に治ると思っています。それよりも右手首の盛上がった軟骨の方が余程酷いようです。
昨日の紳士野球クラブへの2年半振りの参加は気持ちの上ではスッキリしました。正式な復帰は難しいようですが、来週も晴れなら参加しようと思っています。
音楽創作はペースを落とし、コンサート主体の活動にしたいと思います。多少の軌道修正でしょうか。嫁はどう思うかですが、元の自分に戻る事で母を観る目がいい方向に変わるかも知れません。そして、その生活の中で生まれる作品もあるのではないかと思っています。


☆2008.9.12。夜中のトイレ騒動。昨日完成したはずの新作[心の色]を嫁が駄作発言。

昨夜、2:50に母の部屋の蛍光灯が点いた。カチカチッという音と明かりで私は目を覚まして母の部屋に駆付ける。おしっこではなく大便だと言う。母は大便をベッド脇のポータブルトイレでするのを嫌うので部屋のクローゼットスペースに作った水洗トイレまで介助をして歩かせるのですが、今朝は珍しくポータブルでするという。
Pトイレの前で立たせてパジャマのズボンを降ろすと中敷きには便がたっぷりとついている。最近の母は排尿や排便をしたいと感じた時には既に出した後の事が非常に多くなっています。歩かない、車椅子での生活ばかりでは安全性増しても腹筋、背筋といろんなものが弱っていくようです。勿論、内臓の筋肉だって力を失っていくのだと思います。その一方で認知が進むと皮膚感覚なども鈍くなるから排尿や排便に気づかないのだと思います
Pトイレに座る一方でウトウトと眠り始めます。「あれだけ出ていればもう、出ないと思うよ」、と言うと、
「うーん、でも出るような気がする」、といいながら、またウトウトと・・。
結局、3:25に、「もう、出ない。しない」、と言う母を立たせてお尻にべっとりとこびり付いた便を紙で
拭き、風呂場で作ってきた温タオルで丁寧に拭きます。
こんな事をしている最中にいつもだと、「今日は日曜日。明日から学校(デイ通い)よね」、と言ったりするのですが、今朝の母は何故か神妙です。母は寝ている最中に排便をしてしまった事や真夜中に私を起こしてしまった事に対して罪悪感を感じているようでした。すっかり沈み込んでいました
失語症の進行が早いような気がします。母は何かを言いたいような表情なんですが、言葉が出てきません。
最近の母の傾向としておしっこをしてもお尻を拭くのを忘れたり、手を洗うのを忘れる事が当り前になっています。今朝は食事の時も、デイに向かう車の中でも非常に元気がなかった母。頑張って欲しいものです。


☆2008.9.12。駄作の[心の色]のイントロ部分のハーモニーを削除してツインギターに。

一昨日、新作の[心の色]が出来たのですが、どうも嫁からの受けがよくありません。確かに、ハーモニーの部分の音が厚すぎるような気もして、ボツかな・、と思ったりしてい他のですが、前奏に使っていたハーモニーを削除して2本のギターでSOLIを取らせ、全体的なコーラス部分も大幅にカットしてみたら、まあまあの感じになりました。

☆PPM,ビートルズ、シャルルアズナブール、スタンゲッツ、トリオロスタバハラス。

私の学生時代にはピーターポール&マリーが全盛の頃。中学時代からシャルルアズナブールやアダモを聞いていた私には新鮮なものでした。ビートルズのヘルプという曲のコーラスが好き、サイモン&ガーファンクルのギターサウンドに痺れていました。でも、高校時代の私はどちらかというとスタンゲッツのイパネマの娘に聴き入って眠れないくらいでした。ラジオをつけると米軍基地から発信する音楽、朝鮮からの音楽がバンバンと入ってくるのが佐世保でしたから、ラテン音楽やジャズを知らぬ間に聴いて育ったのです。
山岳部の後輩の馬渡という奴を自宅に泊まりがけで呼寄せ、サイドギターを弾かせて弾きまくったのが[トリオロスタバハラス]というギタートリオのレパートリーでした。彼らの出したLPレコードの全曲を細部まで譜面に起し、コピー演奏をしていました。
この馬渡という奴は譜面も読めず、ギターもそんなに上手くはないのですがとても耳がよくて、微妙な音の違いを聞き分けて、「先輩、音が違うよ。そこはディミニッシュだからラとドの音を半音下げてくれ。雑に弾くなよ」、などと言ってくれたものでした。ギターを教えているはずだったのが、逆に音楽に対する取組み方を教えて貰った気がしています。 アントニオ小賀(猪木じゃありません)というレキントギターの名手が当時の日本にいました。トリオロスタバハラスもレキントギターが上手かったですね。現在はレキント専用のギターがありますが、このトリオロスタバハラスのレキントギターは当時はミニガットギターを使い、開放弦で細い方からA−E−C−GーD−Aという普通のギターの4度上の調弦をして弾いていたのではないかと記憶しています。この調弦は結構使えるんです。FのアルペジオがCで弾け、AmのアルペジオがEmで弾けますからね。1本は持っていたいギターです。


☆2008.9.13。♪:(心の色)をアップ。早い制作ピッチで2008年の9作目に驚き。

♪:心の色


明日の天候が気になる。晴れれば2週続きの早朝紳士野球への参加だ。先週は2年半振りの参加でいきなりの紅白戦に驚きました。やはりランニングキャッチボールや軽いトスから始めないといけないと思いました。グラウンド感覚は本能的に持っているから動きそのものに違和感などはありませんが、体重増が気になりました。最初は息の上がりが激しくて胃液が飛び出しそうになりました。明日はマイペースでやろうと思っています。
さて、作品制作のピッチを落とそうと思うのですが、どうも失語症への思いが強くてイメージが次々と湧いてくるようです。今年は既に9曲を作りました。これは2007年の7曲制作をすでに上回っていて、2006年の13曲に次ぐ多さですが、このままで作り続ければ2007年を越えてしまう気がしています。

">☆2008.9.17。ブログの作り方で注意を受ける。大分の皆様、ゴメンナサイ。

我が家の最初のPCは手作りです。11年くらい前ですが¥60、000程度の予算でパーツ屋さんで買い集め、自作しました。途中で分からなくなって助っ人に来て貰ったのですが、この助っ人が更に分からなくしてしまい、夜中にちょっとした部品を買いに行かされた記憶があります。手作りのメリットはあります。当時、既にCDではなくてDVDを組込んでいましたから市販品で言うと当時の価格で¥30,0000程度のPCと同等の性能を持たせる事ができました。何度も真っ黒になりました(今のPDではあり得ませんね)が、それを再び立ち上げる楽しさがありました。死んだ機械に再び命を与えるというのは自分に自信がつくものです。
そんな風ですから電気関係には結構強いのですがソフトに弱いのがどうしようもありません。

さて、HP自体は野球チームを所有していた都合でクラブ員とのコミニュケーションや日程の連絡用にと10年ほど前から作っていましたが、最近になって主流になっているブログというもののルールを知らなかったのです。ブログって簡単で便利ですが幾つかのルールがあるんですね。反省しています。
と言うのも、地域ブログで大分に[じゃんぐる公園]というものがあって[母に生命を返す時:介護・同居記録]として利用しているんですが、多重投稿になる、という事でお叱りを受けたんです。
一日に沢山の記事をまるでフロッピーデイスクからコピーでもしているかのように次々と短時間に投稿する事も多重投稿になるらしい事を始めて知ったのです。私の場合、全くそのご指摘の通りだったのです。
私の [母に生命を返す時:介護・同居記録]というブログの場合、母の生立ちから現在までの母を書き残そうとしているのですが、母の歴史を書こうとするとどうしても関わった方々や兄弟、親族等々を書く事にもなります。
しかし、その基礎となるのは母自身が語った記憶であり、姉が語った記憶であり、従兄弟が語った記憶や私の記憶なのであって、それらの記憶が全て事実であるという確証はありません。だから、どうしても修正の連続になりがちなのです。このブログ作りは昨日、今日の出来事を日記風に書いていくブログと違って家系譜作りに近いものがあります。何と言っても大正2年生まれで95歳になる母を主人公にして書いている訳ですからね。
私のブログの作り方ですが、職場で時間を見つけてはフロッピーに書き込んでいきます。例えば母の45歳の頃の様子を書いている最中に姉に確認の電話をしたりして仕上げていき、帰宅してから大分の[じゃんぐる公園]や長崎の地域ブログの[のらんば長崎]などに投稿しています。そして、この投稿の仕方は同一日に2週間分くらいの記事を一気にFDからコピーしてアップしていました。記事に誤りがあれば、その修正分も一気にアップしていたのです。これが多重投稿に相当するというお叱りだったのです。
私の場合、一度書いた記事だって成長させたい。つまり、より事実に近い文章に修正したい思いだけでそうした多重投稿というものを続けていたのですが、それがルール違反だという事であればアップの仕方を改めないといけないと思っています。大分の[じゃんぐる公園]にはご迷惑をお掛けした事をお詫びしたいと思います。
ただ、この多重投稿なんですが、FC2などでは一日に30件までの連続投稿が許されていて、この違いが何なのかは私には分からないままですが、何れにしても投稿に制限があるというのはブログを悪用している人達がいるという事でしょうか。

☆2008.9.17。今朝の母。

「ねえ、あんた。私は母シャマを放ったらかしにしてここに来ているけど。いいんだろうか?」、とデイに向かう車の中で母が言いました。
どうも・・、最近は私が高橋利三郎(私の父)になっている瞬間があるようです。
「ここって、どこの事さ」、と私が聞けば、「ここは佐世保」、と言い、「母(ライさん)を歌が浦に残して嫁いできた為、そろそろこっちに呼寄せて一緒に暮らしたい」、と言うんです。
「ライさんは怖い母親だったんだろう?」、と聞くと、「そうだけど1日中、畑仕事に家事に働き者だったよ」、と言います。
このライさんは夕方から体調を落とす事が多く、よく母親の薬を受取りに病院に通ったそうです。病院も幼い子供にとっては近くではなく、起伏の多い怖い山道を通っていたそうです。
「ライさんはもう居ないさ。死んだよ」、と言うと。「えっ?、」、と言って母は黙ります。そして、「アハハ、そうだったね。なるほどね」、と思い出しました。
午後になり、今日は少し遅目でしたが15:10分頃に施設に行った処、母は珍しくTVのそばでニコニコと楽しんでいるようでした。
「遅くなりました。帰るよ」、というと、「あんたの仕事は早く終わっていいね」、と言います。私の給料は60%もカットされているというのに、全く。「子の心、母知らず」、です。

☆2008.9.19.母が熊本で初めて使った言葉。「・・しおし」。

「今日は仕事場に急いで行くんだろ?、早くしおし」。
デイ施設に到着した私がいつものように母を車の助手席から降ろそうと両足を左手で抱え。右手を肩に回した時に母がこの言葉を使ったのです。
「早くしおし」、とは長崎県北松浦郡の佐々や歌が浦一帯で使われていた方言で、「早くしなさいよ」、という意味で、目上の者が年下の者に使う非常に優しい思いの篭った表現です。
これには驚きました。今日は私が仕事場に向かう途中でデイ施設へ母を連れて来ていることが分かっているんです。いつもだと送迎している事などはまったく分かってはいません。
失語症は改善がありませんが、その日のテンション次第ではこんな日もあるんです。正確にはこんな瞬間もあると言った方が正しいかも知れません。老いって分からないものですが思い当たる事はあるんです。それはこの2ヶ月は嫁が骨折の為に仕事を休んで家に居る事です。
以前だと、嫁の起床時間が少しでも遅れるとバタバタと急かせるように食事をし、うがいをしてデイに出掛けなければいけませんでしたから、母は嫁の動きについていけずにイラつく朝が多く、物事の理解や判断が遅く母がパニックになる姿をよく見掛けました。
私としても毎日コンスタントに8:30には家を出て、9:00に職場入りしなければいけない為、母のイラつきが分かっていても静観するしかありませんでした。
心が落ちついていると穏やかになって物事に対する判断力も維持できるような気がします。
お年寄りには忙しなさが大敵なんです。穏やかに、穏やかにです。

☆2008.9.20。平戸高等女学校の思い出など・・。

女学校では日常生活は全て和服。決められた着物に下は袴着用だったとか。部屋も大部屋小部屋と畳敷きになって居て、2人部屋から広い部屋だと7人部屋まであったと母は言います。
冬休み、夏休みなど長期に寄宿舎を留守にする時などは部屋に布団を置いたままにするとネズミに囓られてボロボロにからと帰郷の際には布団を持って帰らなければいけなかったそうですから、母の場合には炭坑関係者が平戸まで迎えに行っていたのだろうと思います。
家では持って帰った布団をフサ子姉シャマが洗い直し、綿の打ち直しに大変だったそうです。
当時の高等女学校に通う女学生達はそれなりに裕福な方だったのでしょうか。それでも腕時計を持っている者は流石に少なく、その中で母は立派な腕時計をさせて貰っていたと言いますから、黒ダイヤと呼ばれた石炭を掘る炭坑業をしていた濱野家と河内家は特に裕福な家庭だったようです。
鹿町町の[炭坑資料館]には当時、濱野家が鹿町町の全ての尋常小学校に寄贈したというグランドピアノが保存されています。

☆新作の[♪:命の重さ]を作る。

♪:命の重さ


ずっと、母の失語状態が気になっています。脳の軟化に伴って出るものなんだとは知っていますが、この数ヶ月間に数度の自宅や施設での転倒事故が脳の軟化に拍車を掛けている気がします。
[♪:蜃気楼]、[♪:心の色]と続けて失語症をテーマに書きましたが、この[♪:命の重さ]という作品もある意味での失語状態を扱っています。
技術の進化は人間の生活に便利さを与え、スピードを与えて食べ物から季節感を奪い、温暖化作用を引き起して衣類や建築に至るまで季節感を奪っています。日本列島の距離感さえ縮めてしまいました。そこで暮らす人々からはふる里を奪い、親子愛さえも奪い、ひっそりと静かに暮らしたお年寄りには日々の慌ただしさを押しつけ、人から人の心さえ奪ってしまっています。
こうした技術の進化は人と人との会話を奪い、親子の繋がりさえ奪ってしまっています。これは私から見ると国民総失語症状態なんです。その中で引き篭もりの人種を作り出しました。この引き篭もり人種は逆に言えば目立ちたがり人種。疎外感と闘う一方で社会への報復を考えている人種でもあるんです。その延長上に佐世保で起きた猟銃殺人事件、秋葉原での不特定多数連続殺人事件などが起きたのだと思っています。そんな事を考えながら作ったのが[♪:命の重さ]でした。



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濱野 裕生

Author:濱野 裕生

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