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同居記録:64

同居記録:64
☆9年に1度の割で不思議な訪問者がやって来る。「如何に生きるか」と彼らが言う。

この話、信じる必要はありません。無理して信じようとすると身体を壊します。私が見た夢という事で読んでください。
夜中にフッと身体が浮き上がる気配を感じて目を覚ませば、背後では烏帽子(えぼし)を被った神官さんが私の背中を支え、足元にはジャランと音のする棒を持った高野山系の修験者の大男が立っています。見るからに力を持つ高僧の雰囲気を感じます。そして、目の前には天女達が宙を舞っています。赤や緑の衣装を纏い、私を励ますように微笑んでいるんです。美しい音楽が聞こえています。
戸惑う私を無視するように修験者は私の上に跨って大きな顔を近づけ、「お前の身体は相当に病んでいる。だが、こことここに重大な疾患がある事をお前は知っていながら悩む事なく闘い力一杯生き抜こうとしている。我々はお前には大願がある事も知っている。だから私達はお前を死なせる訳にはいかない。今日は此処と此処を治してやろう」、と耳元に囁きながら私の胸を大きな指でトントン、トントンと何度も叩き、今度は腹部の癒着したままになっている部分をやはり指で回すようにさするんです。私の身体は熱くなり腹部などはゴロゴロと音さえ聞え始めます。
「いいか、9年経ったらまたお前の様子を見に来る。お前が必死に生きている姿が分れば再び、三度と何度でもお前を救ってやろう」、と言い残して姿を消すんです。私は何故か感謝の気持ちで体中が熱くなり、布団の中で声高に泣いてしまいます。翌朝、トイレでは激しい血便がありますが、何となく信じない訳にはいかないような話ですね。とても不思議な事です。
実は、[金木犀]、[弓削神社にて]という作品に使っているイントロの部分、あれはこの時の夢の中で流れていた旋律の一部を使用しているんです。
ピアノを弾き、音楽では私よりも先輩になる嫁は私の事を、「貴方はイントロ名人」、と言いますが、本来の私には[金木犀]や[弓削神社にて]のようなイントロを作る感性はありません。まさに、生かされている、そして何かを伝えさせられているという気がします。
私が自然や神仏、老いや命という・・、現在の自分が成り得ないもの、自然やそのサイクルみたいなもの、自身では絶対にコントロールできない力のような事、現象に対して畏怖を感じる一番の理由はこうした経験があったからだと思います。そして、世間の皆様は余りにもその事に無関心過ぎるのではないかと思っています。
人の心を察する能力を持つ者の先には必ず新たな何かが見えてきます。自然を称え感謝する者の先に必ず見えてくる何かがあるはず。少なくとも、そうありたいと努力しています。
☆神社通い。

母と暮らすようになってからは私の中のいろんなものが変わりました。老いていく事って止めようがありません。人間にとって最後の苦しみであり、最大の悲しみかも知れません。
衰えていく力を感じながら、心静かに自分の人生を振返る最後の機会なんでしょうか。勿論、心静かになれず、悟り足らず周囲を睨みつけるだけの人が多いのは事実ですが・。
母と暮らすようになり、母自身が感じる以上に私が悲しい時期が続きました。「どうしたんだ」、「すっかり老いぼれたな・・」、と半ば母を罵っている自分もいました。誰だっていつまでも母は母であって欲しいと思いますからね。
でも、人間は自然の中ではどうしようもなく無力なんだと思います。無力だと感じるからこそ人は何かに縋ろうとします。
幼い頃の私達にとっての父や母って家族の守り神、守護神でした。その存在こそが畏怖の典型でした。その認識が崩れていくのが父母の老いに気づき、それを認めた時からです。
私はいつの間にか老いた母を車椅子に乗せ、名も知らぬ神社の鳥居の前に立つようになっていました。
「これからの母は転げ落ちるように老いを深めていく・・、俺だけの力ではどうしようもない」、と感じた時、私は目には見えないモノに縋ろう・・、神の存在を意識したのです。
人は自分の力を遙かに越えた何かを信じる事で、「自分は、人間は弱いものだ」、と再認識するものです。人間って自然の中では弱いものなんだと思う事で救われる事が沢山あります。
天を見せまいとするかのようにそびえ立つ杉木立の間から覗く一筋の陽の光を浴びた時、神の目から見える私は大地に茂る1本の野草と何ら変わらない存在である事に気づきました。「ああ、こうやって人間は育てられ、生かされているんだ」、と改めて感じる事ができました。

☆ 2008.8.14。何年振りかのバッテイングセンターで右手首を痛める。

酒の話。ずっと、30度以上、どうかすると城南地区で作られる47度くらいの焼酎を飲んでいた為に胃潰瘍が出たり引っ込んだりの状態が続いていました。
2007年8月、今年3月に大分県別府市にある大塚博堂記念館でライブをした際に大塚ご夫婦から、「大分の焼酎は20度が一般的でこれをロックで飲むのがいい」、と勧められたのが切っ掛けになって熊本に戻ってからは20度の焼酎を探し回っています。本当に美味いんです。
8月9日の事。施設に母を迎えに行くにはちょっと早いと感じた私はスーパーに立寄って、「ビッグマン、」という¥1600で4リットル入りの安物焼酎を買いました。20度なんです。幾ら私が夏が大好き人間とは言え、場所によっては36度、37度のここ最近の暑さは異常です。こんな日には20度の焼酎に凍らせたポカリスエットを砕いて入れてロックで飲むのが最高のひとときになっています。
この焼酎を買ってすぐに帰れば良かったのですが、バッテイングセンターの文字が目に入ったものだから、つい車のトランクを開けてバットを出してやってしまいました。
実は、3年前まで在籍した40歳以上で編成されたシニアチームから8月9日に電話を頂き、「もう一度やらんか。明日の10日は球場で待っているよ」、という誘いを受けていたんです。音楽も好きですが野球はもっと好きですからね。
数年前までは140kmのゲージに入ってホームランを連発して38ヶ月連続のチャンピオンになった程の私ですが、120kmのスローボールでもバットがボールに当りません。1ゲーム(1ゲーム20球)目の終了間際にようやくチップできるようになりましたが、ブランクなのか歳のせいか、動体視力自体も落ちてしまったのか、とお得意の瞬間分析が始まりました。
本当の心を言えば、体重が7kg増えるとどの程度のパワーが増すのかという事を実感してみたかったのです。分析の結果、ブランクを意識し過ぎている、120kmのボールでも今の自分には速すぎるかも知れないという意識、腕力や握力が強くなった分だけバットが軽くなってしまった、結果としてバットの出が速くなってしまって突っ込み気味のタイミングで打ちにいってしまっている、という結論を出して痛い腰をさすりながら2ゲーム目に臨みました。
ポン、分析は正解。打席でのオープンスタンス(左足を外に開く)を止めて、クローズドスタンスに変えただけで同じタイミングの振りでもバットの出が遅くなり、多少の詰まる感じがありながらでもポンポンと面白いように当り始めました。ボールを叩いた時、この詰まる感じがあった方がいいんです。体重7kg増の影響は凄いモノです。打球が全く垂れる事なく鋭い勢いで飛んでいきます。
「これならチームに復帰しても迷惑は掛けないかな」、と思いましたが、施設に母を迎えに行き、帰宅する途中で右手首が激しく痛み始めたんです。私の右手首には長い間の草野球生活で作ってしまった軟骨が突き出していて、除去手術をせずに放ったままにしているから無理な動きを繰返すと痛み始めるのです。そんな訳で8月10日の早朝野球の練習への参加は見送ってしまい、次回の17日の練習からキャッチボールくらいには参加しようかなと思っています。2007年の1月に心筋梗塞やって、7月には痙攣起こすくらいの追突事故に遭った人が2008年の8月に野球を再開するって信じて貰えますか・・?嫁は、隣で「アホ」、と叫んでいました。

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濱野 裕生

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